東海名所改正道中記/石部
翻刻 | 目川の里 石部 草津まで二里半 八丁 |
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解説 | 作者の[歌川]広重は、三代目で天保13年(1842年)に生まれます。一笑齋と号します。初代広重の門人で初めは重政と号していました。 二代広重が初代広重の養女であるお辰と離婚した後、重政がお辰の入り婿となり、慶応3年(1867年)頃、広重の画号を襲名、事実上の三代目となります。ただ「なぜか本人は二代広重と自称しており、まるで重宣(二代広重)の存在を消し去りたかったのようである」(『広重 決定版』)。 明治以後の彼は、西洋化していく江戸=東京の街並みを捉えたいわゆる「開化絵」を精力的に描きつづけ、明治27年(1894年)、53歳で世を去りました。 (引用・参考文献) 『浮世絵レファレンス事典 』 日外アソシエーツ株式会社編・発行 2010年 p.218 『日本人名大事典 1』 平凡社 1979年 p.437 『広重 決定版』 太田記念美術館監修 平凡社 2018年 p.158 |
資料種別 | 浮世絵 |
地域 | 甲賀地域 > 湖南市 |
タイトル | 東海名所改正道中記/石部 トウカイ メイショ カイセイ ドウチュウキ イシベ |
著者 | [歌川]広重画 ウタガワ,ヒロシゲ |
出版年(西暦) | 1875 |
出版年(年代) | [明治8年(1875)] |
出版社 | 浅草山清/[浅草] |
関連地名 | 石部 イシベ |
件名 | 東海道;絵画 トウカイドウ;カイガ |
ページ数 | 1枚 |
大きさ | 36×25cm |
コンテンツID | 1000114 |
書誌番号 | 1161581 |
IIIF マニフェスト | https://da.shiga-pref-library.jp/1000114/manifest |