東海名所改正道中記/土山

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翻訳 鈴鹿の山中 土山 水口まで二里二廿七里 鈴鹿峠田村の社 この所よりいづる茶は近年夥(おびただ)しい またさしぐしをもって名物となす
解説 この作品では、キセルを吸う旅人や駕籠(かご)に乗った女性、そしてその籠をを担ぐ駕籠屋の男性たちが、表情豊かに描かれています。
「東海道五十三次」といえば、まず初代歌川広重が描いた抒情的な浮世絵が思いだされますが、『図説国民の歴史(第5巻)』のなかでも、その系譜に連なるこの作品について、「世相風俗の変化のいちじるしい明治初年に、三世広重が描いた『東海名所改正道中記』もまた、興味深いものがある」と再評価されています。
 数代にわたる広重の襲名者の軌跡を追った『広重』という書物を繙くと、三代歌川広重は、「安政2~3年(1855~56年)ごろ、初代広重に入門したと推測され」、初代同様、東海道を舞台とした作品を描きますが、明治期に入ると一転して、「文明開化によってどんどんと、西洋化していく東京の街並みを捉えた開花絵を精力的に発表」し、その名を高めていった、とあります。この絵が描かれたのは、したがって、三代広重が作風を転換させる前、まだまだ江戸文化の情緒を引きずった、いわば過渡期の作品ということになります。
 
 さて、絵の左上に記された文中の「さしぐし」とは、女性の頭髪の装飾として挿す櫛のこと。江戸時代以降、鼈甲(べっこう)などでつくられました。『近江の宿場町』によれば、当時土山宿では、「宿場の東方にあった一〇軒余りの家では「お六櫛(ろくぐし)」を売って生業としていた。……(中略)信濃で、その櫛をつくった「おろく」なる女性たちにちなんで『お六櫛』の名がつけられ、土山宿を通る旅人に、手軽でかさばらない土産として重宝がられ、買い求められていた」とのことです。なるほど絵をよく見れば、駕籠に乗った女性の結った髪の右側に「さしぐし」が挿されているのが分かります。
 時代の大転換期の渦中で、旅人たちは、駕籠のなかの彼女は、そして、駕籠を担いだ男たちは、何処に向かい、そして何処にたどり着いたのでしょうか――当時すでに失われつつあった日本の風景を描いたこの一幅の絵から、さまざまな想像が脳裏をよぎります。

(引用・参考文献)
『図説国民の歴史』第5巻 日本近代史研究会編著 国文社 1965年 p.12
『広重』 太田記念美術館[監修] 平凡社 2018年 p.158
『広辞苑』第7版 新村出編 岩波書店 2018年 p.1172
資料種別 浮世絵
地域 甲賀地域 > 甲賀市
タイトル 東海名所改正道中記/土山
トウカイ メイショ カイセイ ドウチュウキ ツチヤマ
著者 [歌川]広重画
ウタガワ,ヒロシゲ
出版年(西暦) 1875
出版年(年代) [明治8年(1875)]
出版社 並木山清/[浅草]
関連地名 土山
ツチヤマ 
件名 東海道;絵画
トウカイドウ;カイガ 
ページ数 1枚 
大きさ 36×25cm 
コンテンツID 1000115 
書誌番号 1161582 
IIIF マニフェスト https://da.shiga-pref-library.jp/1000115/manifest