最新原色版近江八景

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翻訳 p2:(近江 矢橋の帰帆 The Yabase) 百足山の西麓矢橋村にあり、北岸一里余の石場間今尚楫舟の便あり、是れ瀬田へ廻れば、三里の廻りを便じたるもの、又帰帆の風景頗る美なり

p3:(近江 粟津之晴嵐 The Sunglow Awazu Oumi) 瀬田川上流の西岸風景佳絶ノ松原、是れ元暦元年、木曽義仲が義経・範頼と奮戦せし古戦場なり、又附近に今井兼平の墳墓あり

p4:(近江 堅田浮御堂 The Ukimidou Katata Oumi)琵琶湖西岸堅田村にあり、堂宇はに(ママ)湖上に突出して恵心僧都の創建と伝ふ、また落雁を以て名あり

p5:(近江 三井寺 The Miidera Temple.) 大津市西北高地にありて、琵琶湖の眺め頗る美なり、天台宗寺門派の本山にして、又弁慶の曳摺鐘・汁鍋及三井の晩鐘を以て名高し

p6:(近江 瀬田の唐橋 The Seta Blidge(誤植)) 東海道筋瀬田川に架かれる大橋(百間小橋三十間)を云ふ、特に唐金擬宝珠を以て名高し、又夕照の水面に浮ぶ光景真に賞すべし

p7:(近江 石山寺 Ishiyama) 瀬田川の西岸にあり、秋は月の眺め清く、境内の内に堂塔伽藍多し、今尚紫式部源氏の間あり、又甚だ巨巌に富み、瀬田川の清流と共に風景頗る佳なり

p8:(近江 唐崎の老松 The old Pinetree at Karasaki) 大津北一里余り、近江八景の一なる唐崎の一つ松と称、根の回三丈六尺枝葉東西四十八間に亘る

p9:(近江比良の暮雪 The Snow of m't Hira Omi) 比叡山の北方に当り海抜三千二百尺 晩春尚雪を戴き厳然たる面影は湖上に浮び情趣深く比良之暮雪とて近江八景の一となす
解説 明治33年(1900)に製作された近江八景の絵葉書です。
 p2とp6:「急がば回れ」ということわざを生んだのが、近江八景のうちの「矢橋(やばせ)の帰帆」と「瀬田の唐橋」です。『急がば回れ-東海道と矢橋の渡し-』によりますと、「このことわざは、武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」という和歌によるものとされる」とあり、「危険な近道よりも、安全な本道をまわったほうが、結局早く目的地に着くことを指南するもの」とあります。当時京都へ上るには、矢橋の港から大津への航路を使うのが最も早いとされていましたが、比叡おろしの強風で船出が遅れることも多かったので、かえって瀬田の唐橋を徒歩で渡る方が、確実で早いということから生まれたものです。

 p8:『近江の松』によりますと、唐崎の松は、「琵琶湖畔に建つ日吉神社の摂社*、唐崎神社の境内にあり、現在のものは三代目(四代目という説もある)。(中略)現在の三代目は、二代目の根元に実生し育ったもので、樹齢190年、幹は2本に分かれ、樹高11メートル、地上の高さ1メートルの個所から枝が四方に伸び、枝張りは東西40メートル、南北35メートルと、これまた名松に恥じない樹姿をしている。」とあります。
一方、絵葉書の解説には「根の回三丈六尺(12m)、枝葉東西四十八間(86m)に亘る」とありますから、現在の松よりもかなり大きなものであったことが分かります。 
*摂社とは、末社のこと

参考文献
『急がば回れ-東海道と矢橋の渡し-』 草津宿街道交流館編刊 2005年
『近江の松』 岡村完道著 サンライズ出版 2005年
資料種別 古写真・絵葉書
地域 大津・志賀地域 > 大津市
タイトル 最新原色版近江八景
サイシン ゲンショクバン オウミ ハッケイ
出版年(西暦) 1900
出版年(年代) 明治33年(1900)
形態 10㎝×15㎝
件名 近江八景
オウミ ハッケイ 
コンテンツID 1001266 
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