信長記/上
| 解説 | 本書は、織田信長の旧臣・太田牛一が、齢84歳を迎えた1610年(慶長15年)に完成させた織田信長の伝記『信長記(信長公記)』を土台に、儒学者で医師であった小瀬甫庵が、増補(重撰)したものです。 もともとの太田版『信長記』は、江戸時代を通じて、自筆や写本等によって大名家などごく一部に秘本として伝わったにすぎず、一般には、小瀬版の『信長記』が流布していました。 小瀬版の特徴は、なによりも小瀬の職業を反映して、本来の太田版の信長像に対して、「儒教的理想を信長によって描こうとした」点にあります。そして、原典の太田版よりもコンパクトであったことも手伝って広く読まれ、いまなお、信長の一般的なイメージや印象的なエピソードの数々――たとえば桶狭間の戦いにおけるドラマチックな展開、長篠の戦いにおける火縄銃の三段式装填法による武田騎馬軍団壊滅等は、こちらの小瀬版に拠るところが大きいといえます。 光秀に関していえば、天正10年(1582年)5月28日、毛利軍と対峙する秀吉をサポートするために中国に出陣するにあたり愛宕山の社に参詣しておみくじを2度・3度と引いた話、つづいて里村紹巴たちと連歌興行を催した際「ときは今 あめが下しる 五月かな」との発句を詠むところまでは、太田版も小瀬版も共通しています。ところが、そこから先は、小瀬版では、臨場感あふれる緊迫した場面が追加されています。連歌会から3日後の6月1日、光秀は亀山城にて明智左馬助をはじめとした腹心の武将5名を呼び寄せ、「各の命を申請け度き事候が、同心有るべきに於ては評議すべし。然らざれば光秀が首を刎ねられ候へ」と言って、信長誅殺のクーデター計画を明かし、翌日の本能寺の変へと繋がっていく、という劇的な流れは、小瀬版にしかないものです。 (引用・参考文献) 『信長記』(下) 小瀬甫庵撰 神郡周校注 現代思潮社 1981年 p.121 『信長記・太閤記』 案田順子編著 有精堂 1992年 『信長公記』 太田牛一著 角川書店 1970年 『信長公記 現代語訳』 太田牛一著 筑摩書房 2017年 『信長公記――戦国覇者の一級史料』 和田裕弘著 中央公論社 2018年 |
|---|---|
| 資料種別 | 和書 |
| 地域 | 滋賀県 > 滋賀県 |
| タイトル | 信長記/上 シンチョウキ ジョウ |
| 著者 | 太田牛一輯録;小瀬甫庵撰 オオタ,ギュウイチ;オセ,ホアン |
| 出版年(年代) | [出版年不明] |
| 出版社 | [出版者不明] |
| 形態 | 帙入 |
| 件名 | 織田信長 オダ ノブナガ |
| ページ数 | 1冊 |
| 大きさ | 26cm |
| コンテンツID | 1001819 |
| IIIF マニフェスト | https://da.shiga-pref-library.jp/1001819/manifest |
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